月別アーカイブ: 2011年2月

奇跡の人  The Miracle Worker

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ヘレン・ケラーと、彼女の家庭教師だったアン・サリバンを描いた実話に基づく1962年の作品。モノクロだし、ヘレン・ケラーやアン・サリバンの存在は、小学生だって知っている。だから、今まで注目なんてしなかった。しかし、知人から紹介されて本作を見た。すごい衝撃。

一歳半のときに急性の熱病を患い、ヘレン・ケラーは目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、結果的に口もきけなくなった。ここまでの話は誰でも知っているだろう。

しかし、この三重苦のせいで、ヘレン・ケラーは、言葉だけでなく、言葉の存在すら知らずに育ち、経済的に豊かな家庭環境の中、哀れみゆえに周囲に甘やかされてしまい、非常にわがままな子どもに育ってしまう。映画は、このあたりをビビッドに描いており、家族の深い苦悩と葛藤が伝わってくる。

両親は苦悩の末、縁あってアン・サリバンという若い障害児専門の教師と出会う。そして、彼女をケラー家に招き、ヘレンの教育に当たらせることになるのだが、過保護に慣れたヘレンは、言葉と一緒にしつけも教えるサリバンに猛反発。ヘレンとサリバンの格闘が始まる…。

三重苦を背負ったヘレン・ケラーの深い苦悩が、子役の演技からほとばしる。サリバンは、こうしたヘレンの苦悩を受けとめ、ともに背負っていくのだが、サリバンがヘレンの苦悩を理解し、ともに苦しみを分かち合うことができたのは、自身も幼児期に盲目だったことや(ヘレンと出会った段階では目は見えていた)、極めて過酷な生育環境の中で育ったせいもあったのかもしれない。

この映画を観て、自分がヘレン・ケラーのことも、アン・サリバンのことも何も知らなかったことを知らされた。また、人間は生まれながらにして、動物とは一線を画す尊い存在ではあるが、まわりの人間と深く関わっていくことによって、より人間らしい存在に成長することにも気付かされた。

ちなみに「奇跡の人」とは、アン・サリバンのこと。ヘレンに奇跡を引き起こしたという意味で使われている。それほどヘレンが背負った障害は重かった。言葉を知らないだけでなく、言葉の存在を知らなかったので、事物に名前があるという概念が分からず、それを組み合わせてコミュニケーションを取ることも知らなかった。

サリバンと出会い、ヘレンは言葉を覚え、ついには20歳のときにハーバード大学(当時はラドクリフ大学)に進学する。その後、大人になってからは何度か来日も果たし、世界中で多くの友人に恵まれた。人間を人間たらしめる「教育」とは何かということについても、深く考えさせられる作品。

ザ・ウォーカー  The Book of Eli

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まず、この映画の本質をつかむには、聖書を知っていないと難しいと感じた。ただ、聖書を知らなくても、この映画を観た後で聖書を読めば、全体の趣旨を理解できる仕掛けにもなっている。

欧米諸国では、誰もが子供の頃から聖書に頻繁に触れるので、ほとんどの人が聖書の内容を熟知している。それは、日本で「桃太郎」や「鶴の恩返し」などの昔話を、子供の頃から聞いているから、誰もがこうした昔話のあらすじを常識として知っているのと似ている。

欧米では、創世記からヨハネの黙示録に至る聖書の内容を、誰もが常識として知っている。映画に出てくる聖書の引用箇所も、常識として知っている。だから、この映画の本質も、何の努力もなく理解できるだろう。そこへいくと、多くの日本人にとって、この映画は、近未来SFのように映るかも知れない。

本作の舞台は、この世が破滅した後の終末後の世界。聖書には、終末のことも具体的に書かれているから、欧米人にとってこの設定はSFではなく、現実的な設定として映るだろう。

そんな荒涼とした大地を、イーライ(デンゼル・ワシントン)という男が、この世に一冊だけ残された聖書を、アメリカ大陸を西に向かって黙々と運んでいる状況が描かれる。イーライは、自分の意志というよりも、心の声に従って聖書を西に向かって運んでいる。

そこへ、イーライのミッションを邪魔するカーネギー(ゲイリー・オールドマン)という男が現れる。カーネギーは、終末後の世界の一集落を仕切る有力者。聖書の本質を知っているが、聖書の力を利用して、自分の権勢欲を満たそうと、イーライの聖書を強奪しようと試みる。

こんな設定も、欧米の多くの人達は、聖書の知識を自分の欲望を満たすために利用することの怖さと、ほんとうの意味で聖書を知ることの違いを体験的に知っているから、直観的にイーライとカーネギーの位置づけを把握することができるように思う。

…というわけで、この映画は聖書を知っていないと解釈が難しい。ただ、この映画を観た後で、聖書を読んで、その本質をつかむという順番でも良いと思います。非常に奥の深い映画です。